「ハイヤで今朝出した船はエー、どこの港にサーマ入れたやらエー」

「ハエの風(南風)で今朝出港した船は、どこの港まで行き着いただろうか―」
歌い出しには、牛深の女性が船乗りの身を案ずる気持ちが込められています。

「ハイヤ」は、牛深を出港して北上する帆船に欠かせない「南風」が語源。
九州地方では南風のことを「ハエの風」と言いますが、
ハエがハエヤになり、ハエヤがハイヤとなっていったと考えられています。

「牛深ハイヤ節」が誕生したのは江戸時代後期。
この時期の牛深は海上交通の要衝として、海産物などを
運搬する帆船が多く出入りしていました。

この船乗りたちと牛深の女性たちが歌い踊っていたものが
牛深ハイヤ節の始まりと言われています。

昔の牛深ハイヤ祭りのようす

そして、港から港へと広まっていきました。

「牛深ハイヤ節」は、牛深港に寄港した船乗りたちにより、
港から港へ広まっていくこととなります。

牛深を出港し長崎、瀬戸内海を経由して大阪へ向かう船、
大阪からは日本海を通り新潟などを経由し北海道へ向かう北前船により、
航路上の港に伝わっていき、各地域で様々なアレンジが加わり根付いていきました。

こうして「牛深ハイヤ節」をルーツとするハイヤ系民謡は、
南は鹿児島、北は北海道まで日本各地で歌い継がれていき、
佐渡おけさや阿波踊りはその代表的なものとなっています。

分布図

ハイヤ節を唄い踊る、「牛深ハイヤ祭り」

牛深においては、ハイヤ節が伝統芸能として歌い継がれるようになり、
これに踊りを加えた牛深ハイヤ祭りも開催されるようになりました。

この牛深ハイヤ祭りは、現在でも毎年4月に開催され、約3,000人の参加者が
牛深の中心街を練り歩くハイヤ総踊りや、漁船による船団パレードなど様々なイベントを実施し、
市内外より多くの観光客が詰めかける一大イベントとなっています。

中心街を練り歩くハイヤ総踊りのようす

「牛深ハイヤ祭り」の歴史を振り返る

昭和23年

大火からの復興と大漁を祝い、牛深ハイヤ祭りの前身となる「みなと祭り」開催。

昭和47年

「みなと祭り」から「牛深ハイヤ祭り」に名称変更。
400名による道中踊りを実施(※ 昭和48年には総踊りを2日間実施。両日800人)。

昭和56年

魚フェスティバル(現在の水産フェア)が始まる。

昭和58年

船団パレードが初めて行われる。

船団パレードのようす

昭和61年

踊り・花車コンテストが始まる(※ 開催日を4月の第3土曜・日曜日に変更)。

平成3年

ハイヤ祭り20周年記念事業としてマスコットの「あかねちゃん」が誕生。

あかねちゃん

平成10年

金曜日に「輝けハイヤの競演」を実施し、祭りの期間が3日間となる。

平成13年

ハイヤ祭り30周年。各種テレビ番組で放送される。
また、特産品の販売を行う「牛深名産ハイヤ市」が始まる。

平成23年

ハイヤ祭り40周年。牛深支所駐車場に桟敷席を設置。
徳島県の阿波踊り団体などを招聘。